【人物像】エドワードバッチ博士

エドワード・バッチ博士(1886-1936)

イギリス中部バーミンガム市郊外のモールズと言う町で

1886年に生まれたエドワード・バッチ博士。

この地方には妖精伝説・多くの民話・神話が残されている

ケルトの文化が残っています。

バッチ少年は小さい頃から医師になる夢を持っていましたが、

16歳で学校を卒業してから、父の営む鍛冶屋で働いていました。

しかし、夢を諦められなかった。

20歳で医大に入学し、ロンドンで医師としての勉学に励みます。

1913年。エドワード・バッチ博士は救急救命病棟の外科医として働き始めるのですが、

激務で健康を害してしまい救急の前線から退きました。

その後ロンドンで内科医院を開業し、細菌学者としての熱心な研究活動を続けます。


しかし、再び病に倒れ、余命3ヶ月と宣告されたバッチ博士・・・

「私には、まだやらなくてはいけないことがある。」

志を強く持ち、以前にも増して自分の研究に情熱を注ぎ、奇跡的に回復を遂げるのです。


バッチ博士は自身の研究を続ける中で同種療法といわれるホメオパシーと出会います。

自然療法の1つで、病気の部分だけを見るのではなく、その人の心や取り巻く環境、

生活習慣など全体を見て治療し、本来、人が持つ自然治癒力を高めていくというものです。

害のない療法への探求を深め、ホメオパス(ホメオパシー治療士)となります。


又、長年細菌学者としての研究の結果、腸内細菌をもとに作った7大ノソードとよばれる

経口ワクチンを完成させ、大きな功績を残しました。

しかしバッチ博士の思いはそこで完結ではなかったのです。

更に研究を続け、その中で野生の花や草木・・・

植物の持つエネルギーに心を奪われます。

植物には人の心のバランスを整えてくれる不思議な力がある事を感じ取るのです。

そしてその後、ウェールズに移住したバッチ博士は肉体的な症状を和らげるだけでなく、

心と身体と精神のバランスがいかに大切かということを、

自身の半生とも照らし合わせ痛感し、とてもシンプルな癒しのシステムである

フラワーレメディの研究に力を注ぎました。

不調和を引き起こす性格や心の状態、様々なネガティブな感情に対応させた

38種類のフラワーレメディを完成させました。


実にシンプルな癒しのシステムである花療法を完成させた翌年・・・

エドワード・バッチ・博士は50歳という若さで亡くなってしまいました。


バッチフラワーレメディで元気になろう

バッチフラワーレメディ=花療法/老若男女問わず、バッチを正しく知って使えるようになるといつの間にか気持ちが明るく元気になっていきます。エドワードバッチ博士が残したシンプルな癒しのシステムに込められた想い。プラクティショナーの小松 明子がお伝えしていきます。

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